運はいつも目の前にある

2015.11.20

今年の7月22日、父の一周忌の日に、おかげ様で
書籍『二代目になると自分で決めて生まれてきました』
を出版させていただき、この11月11日には
『愛の経営実践会』のホームページもできました。

今では天職と感じる自分の仕事のことを振り返ってみると、
結局は上手くいったことも多かったと思います。

もちろん親父や母親、妻や家族、弟や従業員、仕入先や
取引先など、周りのすべての方々のおかげ様で、というのは
大前提ですが、ほかに何か理由があるかと考えたら、
一つ答えが見つかりました。

それは、経営があまり好きじゃなかったから。

ものごころがついた頃には、すでに折箱製造卸会社の
跡継ぎ経営者としてレールの上に乗せられていました。
品物の配達をしに父に一緒に連れて行かれては、
お手伝いして偉いねと言われたり、
オヤツをもらったりして、そういうのは大好きだったけど
当然ながらもともと折箱作りや会社経営が自体が好きで
この世界に入ったわけじゃないんですよね。

あまり動き回らずに一日中立ち仕事をするのも
不得意でしたが、そもそも集団行動というものが苦手で、
友達付き合いも下手で
集団でリーダーシップをとるなんていうのは
本当はやりたくなかったんです。

じゃあなぜやっているかというと、
ただただそこに生まれついたから。

会社経営を心の底からやりたかったわけじゃない。

でもかえってそれが良かったのだと思います。

折箱を作るのも、経営者として責任を負うのも、
リーダーシップを発揮するのも、
最初は「不得意だな」というところから始まったんです。

でも、真剣にやっていると「嫌じゃないな」になってくる。

少しずつ苦手なことができるようになってくるんですよね。

逆に言うと、人って嫌なことをやっていないと進歩がない。

運の神様は、もがき苦しみながら不得意なものに取り組んでいる人にやさしいのかも。

私の場合も苦手なことの中に幸運が落ちていました。

なんの仕事でも同じじゃないですか。

就職競争に勝って憧れの会社に入っても、
最初は会議のための資料コピーとか、
お茶の用意を命じられたりとか、野球でいうところの
玉拾いから始めさせられたりしませんか?

でも、そこで「こんな雑用をするために、
この会社に入ったんじゃない」なんて思うと運を掴むのは遅れます。

無駄なことをするのを嫌がらないかどうか。

これでその人の将来がわかっちゃうのかもしれません。

「嫌だな」と思う人は、たとえその会社で偉くなっても、
「なんでもっと上の地位じゃないんだ」と思うんじゃないかな。

「嫌じゃないな」と思う人は、どんなことでも嫌がらず、
積極的に取り組むのでどんどん仕事ができるようになる。

そのときの「損得」じゃなくて、
自分の目の前にやってきたことを精一杯こなしていく人に
運は近づいてくるんだと思うのです。

『運はいつも目の前にある』